「ダム?」と僕は聞いた。
「知らなかったの?」
「いや、知らなかった」
「馬鹿みたい。見ればわかるじゃない」と彼女は言った。
「冬にそのダムがあるかは知らないけど、あれはとにかくダムよ。完璧に。二〇〇パーセント」
ダムを撮るのは好きだけれど、自分でゼロから何かを創造するというのはそれとは全く違った種類のものだ。そういう創り出す喜びを一度知ってしまうと、「ただ撮るだけ」ということを趣味にしているのがだんだん辛くなってくる。
冬のダム
ダムの目的は自己表現にあるのではなく、自己変革にある。エゴの望遠にではなく、広角にある。キヤノンにではなく、ニコンにある。
「だれかのダムというのは、結局のところその誰かのダムなんだ。君がその誰かにかわって撮影するわけにはいかないんだよ。ここはダムみたいなところだし、俺たちはみんなそれに馴れていくしかないんだ。」
完璧なダムなどといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。
「春のダムを君が一人で歩いているとね、向うからD5を首からぶら下げた小熊みたいなカメラ小僧がやってくるんだ。そして君にこう言うんだよ。『こんにちは、お嬢さん、僕と一緒に撮影しませんか』って言うんだ。そして君とカメラ小僧は黒ヤギが必死にミネラルを摂取しているダムの絶壁をころころと転がって一日中撮影してるんだ。そういうのって素敵だろ?」
七月に撮影した女性とはまるで話があわなかった。僕が春のダムについて話している時、彼女は冬のダムのことを考えていた。
「どうせダムの話だろう」とためしに僕は言ってみた。言うべきではなかったのだ。カメラのグリップが氷河のように冷たくなった。「なぜ知っているの?」と彼女が言った。
他人とうまくやっていくというのはむずかしい。ダムか何かになって一生寝転んで暮らせたらどんなに素敵だろうと時々考える。
やれやれ。僕は頭を振った。もう次の撮影の事を考えよう。自分に同情するのは下劣な人間のやることだ。
僕が三番目に撮影した女性は、僕のカメラのことを「あなたのダム」と呼んだ。
その時僕は二十九歳で、あと何週間かのうちに三十路になろうとしていた。写真で食べていくつもりはなく、かといってカメラをやめるだけの確たる理由もなかった。奇妙に絡みあった絶望的な状況の中で、何ヶ月ものあいだ僕は新しい一歩を踏み出せずにいた。
僕はなんだか自分がダムにでもなってしまったような気がしたものだった。誰も僕を責めるわけではないし、誰も僕を憎んでいるわけではない。それでもみんなは僕を避け、どこかで偶然顔をあわせてももっともらしい理由を見つけてはすぐに姿を消すようになった。
「君の着るものは何でも好きだし、君のやることも言うことも歩き方もポージングも、なんでも好きだよ」
「本当にこのままでいいの?」
「どう変えればいいかわからないから、そのままでいいよ」
「どれくらい私のこと好き?」と彼女が訊いた。
「世界中のダムがみんな溶けて、バターになってしまうくらい好きだ」と僕は答えた。
「ふうん」と彼女は少し満足したように言った。
「もう一度撮ってくれる?」
「それはそれ、これはこれ」である。
冷たいようだけど、望遠は望遠、広角は広角である。カメラはニコン、レンズはタムロン、ダムはダムである。
「優れたダムとは、二つの対立する概念を同時に抱きながらその機能を充分に発揮していくことができる、そういったものである。」
ダムというのは、実にさまざまな、はっきり言えば無限の可能性を含んで成立しているというのが僕の考え方である。そう、物事のタイミングを間違えるとろくなことにならないと、僕はうすうす気がつきはじめていた。
「僕は思うんですが、一番大事なのは、たとえどこにいようが、自分自身の中でどれだけ新しいダムを撮影していけるかということではないでしょうか。
しっかりとした物欲と経済力さえあれば、たとえ自宅から一歩も出なくたって、新しいダムはいくらでも見つけていけるはずです。」
「どんなに素晴らしいスタジオに行っても、あなたにダムを理解する知性がなかったらそれは何の意味も持たないし、数百円で買える写ルンですだって、あなたに優れた感受性があれば、あなたの人生をすっかり変えてしまうかもしれない。
要するにもっとも大事なのは、あなたのテレ端にあるものよりは、あなたのワイド端にあるものだということです。僕はそう思います。」
「ずっと昔からダムはあったの?」僕は肯いた。
「うん、昔からあった。子供の頃から。僕はそのことをずっと感じつづけていたよ。そこには何かがあるんだって。でもそれがダムというきちんとした形になったのは、それほど前のことじゃない。ダムは少しずつ形を定めて、その住んでいる世界の形を定めてきたんだ。僕が年をとるにつれてね。何故だろう?僕にもわからない。たぶんそうする必要があったからだろうね」
僕は思う――ダムと言う不完全な容器に盛る事が出来るのは不完全な記憶や不完全な想いでしかないのだ。